思考の消化器官

色々な感想文とか。生活のこととか。

『裏山の奇人』からの引用4

今となってはデング熱でこういう扱いを受けることはなさそうですが、セカンド・オピニオン大事ですよね。まあ、こういう状態になってからだと自分でどうこう出来る感じでもなさそうですが…。そういえば、今年はデング熱は発生しなかったのでしょうかね。発生したとしてもまだこれからかもしれませんが、きっと今年はしっかりと対策されていたのでしょう。ありがたいことです。

担当医曰く、血小板地が血液一マイクロリットル当たり二万を切ると、血液は完全に凝固能力を失う。その結果、寝返りを打つだけで全身が内出血し、針で突いた程度の傷から大出血する。しまいには、全身の古傷、粘膜から血を噴いて死ぬ。私は知らない間に、デング熱の劇症型であるデング出血熱dengue haemorrhagic feverに移行していたのだった。しかも、「デング(デング熱とデング出血熱)」は特効薬がないため、熱が上がれば解熱剤で下げる対処療法のみなのだが、この一週間処方されていた解熱剤は、なんと出血傾向を促進するため「デング」治療では禁忌とされるアスピリンだった(Gibbons & Vaughn, 2002など:その後、アセトアミノフェンという無難な薬に変更された)。ちなみに、世界では年間五〇〇〇万~一億人近くがデング熱を発症し、うち五〇万人ほどがデング出血熱に移行し、さらにうち二万四〇〇〇人ほどが死亡している(WHO, 1997; Monath, 1994; Gubler, 1997)。
とはいえ、あきらかに「デング」の症状を示す私が、医者にそれを納得させるのは本当に大変だった。デング熱は、その激しい関節痛から別名「骨折熱」というが、医者とのやりとりで一番骨が折れた。医者は、素人の言うことだと思って、私の話をなかなか聞き入れてくれなかった。入院後、本当に危篤状態に陥ったころにようやく医者がインターネットで「デング」を調べ、どうやら私の言っていることが正しいらしいと認めたようだった。
その後、私は「デングという体」でようやく本格的な治療を受けることになった。なぜ「デング」でなく「デングという体」と言うかには、また漫才のようないきさつがある。とにかく田舎の病院なので、対輸入感染症の設備が何もなかった。医者から「間違いなく君の言う通りデングだろうけど、うちでは正確な診断ができない。当面はデングのつもりで治療するが、診断を下すために君の血液を船便で外国の研究所に送る」と言われて、開いた口が塞がらなかった。後日調べると、国内でもデングか否かを診断できる機関はいくつもあるらしい。なぜそういう近場へ持っていかないで外国に、しかも船で持って行かねばならなかったのか、いまでもわからない。

裏山の奇人 P141『第3章 ジャングルクルセイダーズ』 より

裏山の奇人: 野にたゆたう博物学 (フィールドの生物学)

裏山の奇人: 野にたゆたう博物学 (フィールドの生物学)

丸善&ジュンク堂書店ネットストアで詳細を見る