思考の消化器官

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ケンカをした

先日、久しぶりにケンカをした。


世間的にみれば、きっとケンカ未満なのだろう。しかし、ほとんどケンカというものをしない自分たちにとってはそれでも久しぶりのケンカと言えるものだったと思う。



ケンカをする時の大抵の原因は自分にある。なぜなら自分は彼女に対して腹が立つことがない、ゆえにケンカにならない。だから、ケンカになると言うことは既に自分に原因がある時なのである。


これは悲惨だ。なにせ負け戦しか戦にならないのだから。本当に「お前はもう死んでいる」状態である。


とは言っても、これは別に不満を漏らしている訳ではない。相手が怒ることには100%同意出来ないまでも、ほとんどの場合は理解出来る。また、彼女にしても自分に対して怒ることはかなり稀である。つまり怒られると言うことは、自分がそれなりのことをした時である。そう、自覚はあるのだ。


悪いことをした意識のある自分としては全面的な謝罪をして、全てを終わらせたい。無条件降伏である。もちろん、反省もしている。次回からは同じ様なことがないように気を付けるつもりである(履行出来ない可能性はあるが、最大限努力はしているのである)。


ただ素早い「ごめんなさい」は効果がないことが多い。なぜか「反省していない」とか「軽い」とか言われる。そんなことはないのだ。こちらは無条件降伏の状態である。出来れば領土割譲でも賠償金請求でも受けたいが、そんな訳にもいかない。


こうなると後はひたすら許しを請うしかないのだが、これはもう泥沼である。そうなれば自分は次善の策として沈黙を選ぶことになるのだが、すると今度は「都合が悪くなるとすぐ黙る」と言われる。いや、まさに仰る通り。最善の策(謝罪)を封じられたのだ、都合が悪いに決っている。


彼女はよく言われる怒れる女性の様な、ケンカの時に過去の話を掘り返したり、揚げ足取りの様なことはまず言わない知性溢れる女性である。結果として


沈黙は金


と彼女は絶対に思っていないだろうが、どうしても長く辛い沈黙が支配することになる。




そこで今回の件だ。今回の件も自分に8割の非があったことは認める。残りの2割は「いう程悪いことしてなくない?」である。2割の点をサラッと主張して後は謝罪するのみなのだが、タイミングがない。沈黙が長い。痛い。辛い。


そこで自分のとった行動は「走ってくる」と言い残して走りに行くことだった。今振り返ってもかなり酷い選択である。単純に逃げ出しただけだ。


いつものジョギングコースを走っている間は、もうずっと自己嫌悪の嵐である。早く帰って謝りたいという思いのせいか、いつもより早いペースで走っていたと思う。帰ったら一直線で「ごめんなさい」、ただそれだけ。


優しい彼女は許してくれた。いつもごめんなさい。そしてありがとう。



謝ることの出来ない全国の諸兄は走ってくると良いかも知れない。タイミングを間違えて帰ってきたら誰もいない、とかいう可能性もある気がするけど・・・。

(この話はフィクションです)