思考の消化器官

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『親指はなぜ太いのか』からの引用6

まったくもってヒトというのは業が深い生物ですよね。

100万年という長いあいだ、自然界のなかで変わらずに供給される食物に対応して形を変え、生きるシステムをつくり上げた動物は、その食物が供給しつづけられるシステムの根本、生態系を変えることはしないし、またできない。だが、現代人と同じ種であるヒトは生態系を簡単に変えてしまう。
南アフリカの洞窟遺跡から出土したカサガイを測ると、中期旧石器時代(11万5000年前)には直径が7センチメートル以上あるが、後期旧石器時代(3万2000年前~1万2000年前)では5~6センチメートルにすぎない。現在では、このカサガイはまったく利用されていないので中期旧石器時代と同じ大きさに回復している。後期旧石器時代にはカサガイを過剰に十分に成長する前に採集したことがわかる。これはあきらかに人類による生態系の撹乱である。
野生動物は生態系攪乱者としては生きてゆけない。だが、ヒト(現代人)は最初から生態系攪乱者として出現している。このことが、ヒトと野生動物との決定的なちがいである。効率的な狩猟採集技術と道具は、人口増加をもたらし生態系を撹乱しつづけてきた。ヒトのこの特徴は、少し前の時代の狩猟採集民ではそれほど目につくものではなかったのかもしれない。あるいは、昔の狩猟採集民は生態系への攪乱を最小限にとどめるタイプの民族だけが残っていたのかもしれない。しかし、彼らの生活技術の効率は、野生動物のそれではまったくなかった。彼らがもっている道具は、たとえ同じような掘り棒をアウストラロピテクスがつくったとしても、その技術は根本的にちがっていた。
狩猟採集民は野生動物ではない。現代まで生き残った狩猟採集民が文化的な創造物、衣類や家や貯蔵食料を必要としないように見えたとしても、それは彼らがそういう生きかたでも生き残れるほどの熱帯の豊穣な生態系のなかに、しかも少数でいたからにすぎない。
しかし、アウストラロピテクスどころかネアンデルタールに至るまで、ヒト(現代人)に先行する人類は野生動物だった。ヒトよりも大きな脳容量をもったネアンデルタールでさえ、その数十万年の生存期間中、使っている石器に変化はなかったし、海の向こうに見える島に渡ろうとさえしなかった。彼らの食物は、入手しやすいものに限られていたし、季節的な食物の変化に対応しさえしなかった。

親指はなぜ太いのか―直立二足歩行の起原に迫る P225『第8章 直立二足歩行の起原』 より

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