思考の消化器官

色々な感想文とか。生活のこととか。

『パンダ ネコをかぶった珍獣』からの引用2

リンリン死亡の際のマスコミ対応に関連してのお話です。「マスコミが悪い」というつもりはありませんが、もう少し各方面に配慮してくれれば、色々な不幸が減らせる気がするのは確かですね。不幸の増幅役を担っている感じはしてしまいます。

それは、1979年のカンカンとランランの交尾に関する裏話だった。
当時の広報発表では、「1979年5月25日朝に第1回同居を試みたが成功せず、26日に第2回同居を実施したところ、2度にわたって交尾に成功した」となっている。
しかし実際には、交尾が成功したのは25日の夜7時半前だったのだ。
小森氏によると、都庁の記者クラブには、交尾があってから3時間以内には発表するよう要請されていたらしい。しかし、配布資料や交尾の編集VTRの作成が、3時間で間に合うはずもない。さらに夜の交尾とあっては、発表は夜中になってしまう。そこで現場の判断で翌26日の朝6時頃の交尾ということにして、その3時間後の9時に発表と決めたのだ。本には「だまされた方も、知っていてだまされたのだから、文句も言わないのだろう」とある。
園内に保管されている飼育日誌にも、当時のようすは生々しく残っている。日誌には、前述の広報発表と同様の記述のコピーが付してあり、そこには「これは広報用であり、事実とは違う。日誌が正確」と力強く赤字で書き記されているのだ。そして正確とされる日誌のほうには、「5月25日夕方16:53から同居を始めて18:19から1分42秒、18:54から1分51秒の交尾が確認された」と記録されている。
要するに、マスコミとお役所の都合に翻弄された挙句、動物園側は事実を曲げる、ないし伏せるなどの対応を余儀なくされていたのだ。そして驚くべきは、この状況が今も変わっていないということだ。

パンダ ネコをかぶった珍獣 P60『3 パンダを飼うということ』 より

パンダ――ネコをかぶった珍獣 (岩波科学ライブラリー〈生きもの〉)

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『パンダ ネコをかぶった珍獣』からの引用1

映像であれ、大抵の場合目にしたことがあるのは四川パンダなのでしょうね。図16の写真で見る限り、ちょっと茶色いかなあ、といった感じなので、もし動物園的な所で見たとしても気が付かなそうですが…。目の周りの模様の角度が違う、みたいなことだったら、確実に気付くでしょうけれどもねえ。

2003年の研究によると、現在パンダが生息する6つの山地や山脈のうち、陜西省の秦嶺山脈のパンダと、他の5地域(四川省甘粛省の一部)のパンダとは遺伝的な隔たりがとくに大きく、少なくとも1万年の間、双方の交流がなかったとみられるという。
その後におこなわれた形態学的分析も、この結果を支持している。秦嶺のパンダは四川パンダに比べ、骨格が小さく、臼歯が大きいといった特徴をもつという。さらに毛皮の色も、四川パンダのクロとシロに対し、秦嶺パンダは暗褐色と褐色の個体が多くみられる(図16)。
これらのことから、四川のパンダと秦嶺のパンダは現在、「種」の下のグループである「亜種」のレベルでは別々とされている。ちなみに元祖パンダのレッサーパンダにも、ネパールの地域集団と四川省の地域集団があって、やはり別々の亜種とみなされている。

パンダ ネコをかぶった珍獣 P24『2 珍獣パンダのさらなる秘密』 より

パンダ――ネコをかぶった珍獣 (岩波科学ライブラリー〈生きもの〉)

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『食の文化史』からの引用5

この歴史の後にトランス脂肪酸問題があったり、またトランス脂肪酸を低減したマーガリンが開発されたりとその歴史は積み重なっていますね。100年後にはマーガリンという食品がどう評価されているのか楽しみです。

マーガリンは約百年前の一八七三年、普仏戦争のときフランスではバターが欠乏し、ナポレオン三世がバターの代用になるものの懸賞募集をしたことに端を発した。これに応じてメージュ・ムリエという化学者が、牛脂中の軟質部を用いて、牛乳と共に乳化してバター様のものをつくって賞を得た。これより前の一八一九年、シュヴルーイは、動物脂肪の構成脂肪酸の一つにマーガリン酸(margaric acid)と名付けた。「真珠のように光り輝く」という意味で、ギリシア語で真珠を意味するマーガライト(margarite)からとったものだという。そして、このマーガリン酸のグリセライドと目される脂肪をマーガリンと呼んだ。その後、シュヴルーイの「マーガリン酸」は、実は二種のほかの脂肪酸(パルミチン酸とステアリン酸)の混合物にすぎないことがわかった。
ムリエの発明は、その五十年ほど後のことで、彼はこの誤った、今は不要となった化学名をそのまま採用して、自分の製品に名づけたわけだ。おそらくムリエの頭の中にも、自分の発明品と真珠の輝きとの連想があったのであろう。その後マーガリンは、オランダ・イギリス・デンマークなどで盛んに用いられ、アメリカで流行していった。初めは、バターの風味の秘密は牛の乳房にあると考え、牛の乳腺をかゆ状にして混ぜる、というような工夫もされたという。
その後、香料の研究も進み、硬化油の発明で植物油からでもつくれるようになって、牛脂さえ不要となり、脳卒中や心臓病などの原因であるコレステロールの沈着と動物脂肪との関係が問題となってきたこんにち、マーガリンは単にバターの代用品としてではなく、バターと確実に対抗できる食品としての地位を築いてきた。

食の文化史 P120『バターの話』 より

食の文化史 (中公新書 (417))

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『食の文化史』からの引用4

さすがに夏目漱石のお話は嘘臭いですよねえ。いくら江戸っ子だとしても、水田と稲がわからない、ということもないとは思うのですが…。ただ、稲でなくても、TVや写真のなかった時代には自分の目で実際に見たことがなかった物を知らない、というのは今とは比較にならないくらいたくさんあったことでしょうね。

江戸っ子の夏目漱石が、ある農村へ旅行したとき、水田を見て「あの草は何か」とそばの者に聞いた、という話は有名だ。私自身、日本人二世の学者夫婦を案内していたとき、「いたるところで見かけるあの禾本科植物はなんという名か」と、短軀、黄顔で、めがねをかけた、どこからみても日本人の中年男に見えるその学者に聞かれて絶句したことがある。しかし、汽車の窓から、平野のあるかぎりつづく水田は、たしかに目立つながめである。
漱石の話は、漱石自身、米どころである愛媛県松山の中学に奉職して『坊っちゃん』をものしたぐらいだから、稲を知らなかったというのもちょっとまゆつばだが、この話がめずらしい逸話としてのこっているほど、すべての日本人は稲を知っているわけである。

食の文化史 P65『米食の歴史』 より

食の文化史 (中公新書 (417))

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『食の文化史』からの引用3

フランスの滞在経験があるからかもしれませんが、世界中で馬鹿にされることの多いイギリスの料理で育った人とは思えないほどに、サラダに対してのこだわりがありますね。まあ、イギリスの人は料理に対してのこだわり自体はあるのかもしれませんけれどもね(味が追い付いていないだけで…)。

ジョン・イーブリンはイギリスの日記作家だが、若いころにパリに行っていたので、フランス風のサラダについて見識を持つようになったのだろうといわれる。『アケタリア』というのは「野菜を酢で料理する」という意味のラテン語だということで、つまりはこんにちのサラダを表わす言葉だといえよう。イーブリンは、この本の中ではじめて、「サラダとは生野菜の配合料理」と定義した。そして「完全なサラダ」とは、「苦みと辛味があり、穏和であって無味であり、たちどころにぴりっとする、生き生きした食べものであるように、正しい配合をしたものでなければならない」、「その配合においてはどの植物もそれ自身の持ちまえを守り、与えられた役割を果たさねばならない」と延べ、ついに、「どの植物もあたかも楽譜における音符のようであるべきで、調子の悪い、耳ざわりな音を出してはならない。ときにはある種の不協和音を認めるとしても、それはより快活な、よりおだやかな音色ですべての不協和音を調和させ、それを快いコンポジションに溶け合わせるような、きわだった調子のものでなくてはならない」と、独特の「サラダ美学」に説きおよぶ。
この音楽的比喩をまじえた意見をきいていると、サラダにヨーロッパ人が感じているものは「芸術」そのものという気がしてくる。

食の文化史 P59『野菜と欧米人』 より

食の文化史 (中公新書 (417))

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『食の文化史』からの引用2

最近は、語源や言葉の成り立ち、みたいなお話は話半分どころか話1/3くらいで聞いているのですが、ただ聞いている分には面白いですよね。「オマナ」とか宮中で本当に使われているのでしょうかね。初版1975年の本ですから、40年以上前のことで、もしかしたらその当時は使われていたのかも知れませんが…(もちろん、現在でも使われているのなら、それはそれで面白い話です)。

サカナということばはもと「酒菜」と書いた。奈良時代には魚でも野菜でも、副食物をすべて「ナ」と呼んでいた。「酒菜」は酒と共に食べるおかずのことで、野菜だって鳥の肉だってサカナだった(こんにちでは「人のうわさ」を「サカナ」にしてビールを飲んだりする)。そのうち特に上等のものということで、魚だけをサカナというようになった。
ところが、魚を尊ぶ気持はさらに進んで、いっそ「ほんとうのおかず」という意味で「真菜(マナ)」とも呼ばれるようになった。このことばの方は庶民から離れていったらしく、あまり単独では使われないが、マナイタ(魚を切るための板の意味)、マナバシ(魚用のお箸)といったことばの中に残っている。「マナ」はまた、現在の宮中での日常語の中に残っており、魚のことを「オマナ」といい、サケ(鮭)のことは赤い魚という意味で「アカオマナ」というそうだ。
さらにその後、魚を「美味(おいしいものの意)」とも書き、「タメツモノ(味のよいもの)」とか「イオ(ウオの古語)」とか読んだ。とにかく、こうした魚の呼び名の移り変りからも、魚は古くから日本人の食生活にとって最高のものとして愛されて来たことがわかるのだ。

食の文化史 P39『魚と日本人』 より

食の文化史 (中公新書 (417))

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『食の文化史』からの引用1

この手の話はよく見聞きしますが、もし宇宙で生活するようになったら現在の宗教から(良くも悪くも)解き放たれる方がいるということでしょうね。もちろん、中には原理主義的になる向きもあるでしょうけれども、きっと便利さと必要に合わせて、信仰も変わっていく部分もあるのでしょう。世界がそういう段階になるのを目にするには寿命が足りなさそうなのが残念なところです。

戒律のきびしい回教徒やインド教徒も、日本では豚を全然扱わないレストランなんて、まずないから、本国でのようにきびしいことはいわず、まあ豚肉だけは食べないことにしているようだ。しかし、外国にいるからといって、「例外」はいっさい認めない彼らは、日本の焼きめしや焼きそばのようなものが好きだが、たいてい豚肉加工品であるハムの切れっぱしが入っているので食べようとはしない。商売がら中東や東南アジアの学生と話をすることが多い。回教徒の一人に「ジェット機の中では豚は出なかったか」と聞いたことがある。
「出た。ポークチャップだった」
「食べなかったか」
「食べた。うまかった」
「いけないんだろう?」
「地上ではいけない。しかし、私はそのとき、山よりも高いところにいた。あんな高いところを宗教は支配しない」
――アラーの神が山にいるのか天にいるのか、聞き漏らしたが、とにかく、これが私が耳にした唯一の“例外”だ。

食の文化史 P16『豚肉考現学』 より

食の文化史 (中公新書 (417))

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